私事ですが、先日 祖母が亡くなりました。
思えば祖母、少々型破りな変わった人だったんですよね。
本日は、亡くなった祖母を想い出を語ってみたいと思います。
93歳の大往生
昭和3年生まれだった祖母。
10月28日に93歳でこの世を去りました。
半年ほど前から祖母の体調が思わしくないことは聞いていたわたし。
食欲もなくなり、そして1ヶ月ほど前からは一切の食事をしないようになり、点滴で栄養を摂っていました。
あと持って一か月ぐらいでしょうか
残念ながらお医者さんの宣言通り、ちょうど1ヶ月後に天国に行ってしまったのでした。
厚生労働省が2020年に発表した情報では、日本人女性の平均寿命は87.74歳。
参考:日本人の平均寿命はどれくらい?
https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1043.html
93歳まで生きたというのは大往生ですね。
祖母との想い出
93歳で大往生した祖母。
実は、とても変わった人だったんです。
子どもの頃、祖母は少し離れたところで住んでいたこともあり、子どもの頃は2・3ヶ月に1度程度しか会わなかった祖母。
そんな祖母なんですが、当時の印象はとても強く残っています。
大のギャンブル好き
まず1つ目の印象は、大のギャンブル好きだったこと。
小学生低学年の頃だったでしょうか?
お馬さん見に行くで!
自転車見に行くで!
そう言って連れて行かされてたのは競馬場や競輪場
そう、祖母は競馬や競輪が大好きなギャンブル好きだったんです。
幼い頃だったので、競馬場や競輪場がどういう場所かっていうのは分かっていなかったわたし。
ただ、周りの大人の雰囲気から「普通のところではない」と感じていたのは今でも覚えています。
そして家に帰えると、母親に何度も叱られたのも記憶しています。
なんで子供を競馬場に連れて行くのよ!
娘(オカン)に叱られる母親(祖母)の姿がずっと反面教師として記憶の片隅に残っているからでしょうか?
幸い わたしは一切のギャンブルをすることなく、ここまで生きてきました(苦笑)
派手
そして2つ目の印象は、派手だったこと。
高知県の田舎で暮らしていた祖母ですが、会うといつも派手な服装だったのを記憶してます。
派手といっても高級なブランド品を身に着けている訳ではなく、“大阪のオバちゃん”のような派手派手しさがあった祖母。
40年近く前のお話なんだけど、今考えるとかなり浮いていてましたね。
動物嫌い
最後 3つ目の印象は、大の動物嫌いだったこと。
動物が憎いぐらい嫌いだった祖母。
もう40年近く前の話なので時効だと思いますが、犬や猫といった動物を見かけては石を投げていたのを記憶しています。
なぜ動物が嫌いだったのか?
祖母本人から直接聞いたことはないんだけど、オカン曰く、子どもの頃に畑を動物に荒らされることがあり、それから動物が嫌いになったんだとか祖母。
しかし、全然関係無い犬や猫に石を投げなくても良いと思うんだけど…
そんなちょっと変わった思い出が、祖母にはたくさんありました。
心残りなこと
そんな感じで、少々変わってた祖母。
心残りだったのは、この1年半近く新型コロナの影響で会えなかったこと。
新型コロナの感染拡大により、実家に帰省できなくなったわたし。
1年半ほど会えない時期がありました。
その1年半の間に、徐々に弱っていった祖母。
子どもの頃に連れて行ってくれた競馬や競輪の話や、動物嫌いの理由。
今だから知りたい話が沢山あったんですが、残念ながらその願いは叶わず。
亡くなってから気付く家族の大切さ
もっと話したかったな…
以前、読んだ「死んだらどうなるの?」という本の中でこんなこと書かれてました。
最後の挨拶に行くのは、亡くなる当日という人がほとんどですが、早めに行く人もいる。
2日前から3日前ということもあるし、1週間前という人もいる。
亡くなる当日でも、なくなるのが夜だったとしても朝から行く、ということもある。
残念ながら、わたしには最後の挨拶はありませんでした。
方向音痴だった祖母。
きっとどこかで迷子になってたのかもしれませんね。
さいごに
ということで、今回は 先日亡くなった祖母の思い出を語ってみました。
今回のお話 いかがでしたでしょうか。
改めて家族の大切さを感じた今回の祖母の死。
普段は空気のように何も感じない家族、いざいなくなるととても寂しいもの。
諸般の事情でお葬式にも行けなかったんだけど、今 きっとこんなこと言ってると思います。
別に葬式なんて来んでええから、自分のことやりー
天国でも大好きだった競馬や競輪を楽しんでね!!