空海(弘法大師)が日本に広めたもの・持ち帰ったもの

雑談

真言宗の開祖である空海

空海は仏教を広めるだけでなく、様々なものを日本に広めたと言われているんです。

本日は、真言宗の開祖である空海が日本に広めたもの、持ち帰ったものをご紹介します。

 

本日の参考本

今回のお話は先日読んだ、上永 哲矢さん、野田 伊豆守さん著書の「密教の聖地 高野山」という本から参考にさせて頂きました。

 

織田信長豊臣秀吉石田三成真田幸村・昌行親子などが眠る高野山。

何故、多くの戦国武将達が高野山に眠るのか?
また戦国武将たちは高野山とどう向き合ってきたのか?

空海の生涯から弘法大師の誕生、そして高野山の成立まで、高野山の歴史が分かるこの本。

興味ある方は是非、読んでみて下さい。

 

空海とは

さて、本題に入る前に空海について簡単にご紹介します。

空海とは、奈良時代後期から平安時代初期にかけての僧侶で真言宗の開祖として知られる人物。

参考:空海 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

774年に今の香川県善通寺市で生まれた空海。

父親が地元の豪族だったこともあり、裕福な家庭で生まれ育ち、18歳で大学(当時の官僚育成機関)に入学。
その後、四国に戻り仏門に入り、804年に遣唐使として唐(今の中国)に渡って仏教を学び、日本に帰国した後に、和歌山県の高野山に修禅の道場を開き、真言宗を開いたのでした。

 

実はポンコツだった!?

別名 弘法大師とも言われ、「弘法も筆の誤り」ということわざもあるぐらい優秀なイメージのある空海。

実はポンコツだったのでは?と言われているそうなんです。

 

18歳で大学(当時の官僚育成機関)に入学した空海ですが、なんと1年で退学をしたんだとか。

ハッキリとした退学の理由は分かりませんが、一節には座学に限界を感じたとも言われています。
つまり、勉強についていけなかったのかもしれませんね。

 

そして、その後 遣唐使として今の中国に渡った空海ですが、なんと2年で日本に帰国したんだとか。

当時、海を渡るのは命がけだったため、遣唐使は20年間の留学が義務付けられていたんだとか。
そんな義務を強引に破って2年で早々と帰国した空海。

 

ひょっとしたらポンコツだったのかもしれませんね。

 

空海が日本に広めたもの

遣唐使として唐の国に渡りながらも2年で早々と帰国した空海。
そんな空海ですが、日本に広めたと言われているものが沢山あるそうなんです。

空海が日本に広めたと言われているものを以下に5つご紹介します。

うどん

空海が日本に広めたもの、1つ目うどん

 

まず最初にご紹介するのは、うどん。

わたし達が日常 当たり前に食べているうどんは、空海が中国から持ち帰ったのが起源と言われているそうなんです。

 

確かに、空海が生まれ育った香川県は讃岐うどんとして有名な土地柄。

うどんの発祥には諸説あるようですが、空海が日本に持ち帰ったことがキッカケで讃岐うどんんが広まったというのは、まんざらウソではないのかもしれませんね。

 

高野豆腐

空海が日本に広めたもの、2つ目高野豆腐

2つ目に紹介するのは高野豆腐。
「密教の聖地 高野山」の中でうどんと合わせて高野豆腐も空海が日本に持ち帰ったと書かれていました。

 

ちなみに高野豆腐、現代では長野県が全国の精算の9割以上を占めているんだとか。

参考:日本一■凍豆腐の工場生産出荷量 | 長野県は日本一
https://blog.nagano-ken.jp/nihonichi/processed_food/84.html

ここまでシェアを占めるとなると「高野豆腐」じゃなく「信州豆腐」に改名しても良いかもしれませんね(笑)

 

小豆

空海が日本に広めたもの、3つ目小豆(あずき)

 

続いて紹介するのは小豆(あずき)。
唐から帰国する際に、小豆の種を持ち帰り、日本で栽培したのが空海と言われています。

 

収穫した小豆からあんこをつくり、毎年天皇に献上した空海。
これが小倉あんの起源とも言われているそうです。

 

ひらがな

空海が日本に広めたもの、4つ目ひらがな

 

3つ連続食べ物をご紹介しましたが、空海は食べ物だけでなく、わたし達日本人が日常使っているものも広めたと言われています。

その1つがひらがな。
ひらがなは空海が全国に広めた言われています。

「弘法も筆の誤り」という ことわざもあるぐらい字が上手だった空海。

ひらがな自体は空海の生まれる前にもあったようですが、「いろはにほへと ちりぬるを…」という いろは歌を作ったと言われている空海がひらがなを創作したのではと言われています。

 

曜日

空海が日本に広めたもの、5つ目曜日

 

最後にご紹介するのは曜日。

 

日・月・火・水・木・金・土

普段、当たり前に使っている曜日ですが、空海が唐から日本に持ち帰ったのが日本での曜日の起源と言われています。

 

宿曜経と言われる密教の経典。
この経典の中に七曜(日・月・火・水・木・金・土)が書かれていたんだとか。

日本で曜日が使われるようになったのは、藤原道長(966年 – 1028年)の時代だそうですが、空海がいなければ日本で曜日が使われるのはもっと遅かったのかもしれませんね。

 

さいごに

ということで、本日は 真言宗の開祖である空海が日本に広めたもの、持ち帰ったものをご紹介しました。

本日のお話 いかがでしたでしょうか。

 

四国は高知県で生まれ育ったわたし。
実家のすぐ近くに四国八十八ヶ所の霊場があったので、わたしにとって空海(弘法大師)さんはとても身近な存在でしたが、ここまでいろんな物を日本で広めた・持ち帰ったとは知りませんでした。

普段、当たり前のように食べているうどんや高野豆腐。
次回 食べる時には、歴史を感じながら頂きたいと思います。

 

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