小学校や中学校で習った歴史の授業。
実は 歴史の授業で習ったことが、今では変わっていることがあるんです。
えっ!?俺たちが習った内容と違うんだけど
本日は、歴史が変わった!新しい事実をご紹介します。
常に変わる歴史の事実
40代半ば。
絶賛中年オヤジであるわたし。
そんなわたしと同じ年代の方であれば、小学生や中学生時代というと30年以上前になりますよね。
小学校・中学校の歴史の授業で、これ習いましよね。
いい国(1192)つくろう鎌倉幕府
わたし達の頃は、1192年に鎌倉幕府が開かれたと習いましたが、なんと今では違うんだとか。
源頼朝は、征夷大将軍になった1192年より以前の1185年に守護・地頭を置き権力基盤を築いていました。
よって実質的な開幕として1185年。引用:「いい国」だった鎌倉幕府の成立 最近は「いい箱」が新定番|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20141130_285330.html?DETAIL
そう、今では鎌倉幕府が開かれたのは1185年なのです。
えっ!?鎌倉幕府はいい国(1192年)じゃないの?
新たに分かった歴史の事実。
実は、鎌倉幕府以外にも新しい歴史の事実が分かったことがまだまだあるんです。
歴史が変わった!3つの事実
30年前に習った歴史が、実は今では変わっているということが多々起きてます。
えっ!?子どもの頃になったアレって違ってたの?
歴史が変わった!
新しい事実
今回はそんな中から、3つご紹介します。
聖徳太子
歴史が変わった!新しい事実、1つ目は聖徳太子。
「冠位十二階」や「十七条の憲法」を制定した飛鳥時代を代表する政治家の聖徳太子。
我々 オッサン・オバサン達であれば1万円札・5千円札の顔として覚えている方も多いのではないでしょうか。
そんな聖徳太子ですが、今では聖徳太子とは呼ばないそうなんです。
えっ!聖徳太子じゃないの?
実は、正式な名前は厩戸王(うまやどのおう)と言うそうなんです。
参考:聖徳太子 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
では、何故 今まで聖徳太子と呼ばれていたのでしょうか?
なんで聖徳太子って呼んでたの?
実は、聖徳太子という名前はこの方は亡くなった後に付けられた名前なんだとか。
751年に編纂された「懐風藻」という詩集に聖徳太子という名称が出ており、そこから聖徳太子と呼ばれたそうです。
参考:「お札の顔」でおなじみだったが…聖徳太子の「素顔」今もナゾ : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210414-OYT1T50242/
既に教科書でも「厩戸王(聖徳太子)」と書かれているみたいなので、これからの子ども達は厩戸王と呼ぶのが当たり前になるんでしょうね。
和同開珎
歴史が変わった!新しい事実、2つ目は和同開珎。
いいか、日本で一番古いお金は「和同開珎」
これテストに出るから絶対に覚えろよ。
我々40代以上のオッサン・オバサン世代が小学校・中学校時代には習った和同開珎。
日本で一番古いお金として習い、テストの鉄板問題として“708年 和同開珎”と覚えたの今でも記憶してます。
そんな和同開珎なんですが、実は日本で一番古いお金では無いんだとか。
えっ!?日本で一番古いお金は和同開珎じゃないの?
現在、日本で一番古いお金は「富夲銭(ふほんせん)」で、和同開珎よりも27年古い683年に作られたと言われてます。
実はこの富夲銭は1998年頃から奈良県の飛鳥池遺跡で出土し、日本最古の歴史書「日本書紀」にも書かれていたため、和同開珎から富夲銭に最古お金の歴史が塗り替えられたんだとか。
参考:富夲銭について -三菱UFJ銀行-
https://www.bk.mufg.jp/currency_museum/exhibit/fuhonsen/index.html
となると、もしかすると将来 富夲銭よりももっと古いお金が見つかる可能性もあるのかな?
仁徳天皇陵
歴史が変わった!新しい事実、最後3つ目は仁徳天皇陵。
大阪 堺市にある鍵状の形をしたこの古墳。
わたし達、オッサン・オバサン世代はこの古墳を「仁徳天皇陵」と習いましたよね。
実はこの古墳、現在では仁徳天皇陵とは呼ばないそうなんです。
えっ!?この古墳 仁徳天皇陵なんじゃないの?
現在では、この古墳のある地域名(堺市堺区大仙町)をとって「大仙陵古墳」と呼ぶそうなんです。
そういえば、この前のニュースで大仙陵古墳と呼んでたような
最近では、大仙陵古墳と呼び名が一般化しているようですね。
では、何故 仁徳天皇陵から大仙陵古墳に名称が変わったのでしょうか?
それは、この古墳がどうやら仁徳天皇のお墓でないと分かったから。
参考:「仁徳天皇陵古墳」という名前…実は問題だらけでした(松木 武彦) | 現代新書 | 講談社(1/3)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65334
将来、このお墓の主が解明された時には「○○天皇陵」なんて感じで、また名称に変更になるかもしれませんね。
これからも同じような事が起きる?
という感じで、3つの歴史の事実をご紹介しました。
今回、この3つの歴史の事実を知って分かったんだけど、実は昔の人ってかなりテキトーな人が多かったんですね(笑)
研究者によって今でも新しい事実に塗り替えられる歴史。
もしかすると、誰もが知ってる日本の「あの歴史」や「この歴史」が、新しい事実が判明し塗り替えられるってことが出てくるかも??
さいごに
ということで、本日は、歴史が変わった!新しい事実を3つご紹介しました。
今回のお話 いかがでしたでしょうか。
今回のお話をご紹介する中で、子どもの社会の教科書をチラッと見たんですが、わたしたちが子供の頃に習った歴史の内容とはかなり大きく変わっていました。
大人でも楽しめ、学べる内容になってるね
大人でも理解でき、そして学べる小学校や中学校の社会の教科書。
小学生や中学生の子どもさんが居たら、是非 社内の教科書を読んでみて下さい。
意外と面白いですよ。