伝説の剛速球ピッチャー伊良部秀輝の半生

雑談

突然ですが みなさん。
伊良部秀輝という人物をご存知でしょうか?

1980年代後半から2000年代半ばに、日本球界やメジャーリーグで活躍された伊良部秀輝さん。

実は伊良部秀輝さん、お亡くなりになられてから10年が経つんです。

 

本日は、亡くなられて10年、伝説の剛速球ピッチャー伊良部秀輝さんの半生をご紹介します。

 

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伊良部秀輝とは

伊良部秀輝さんを知らない方向けに、簡単に伊良部さんを紹介します。

 

伊良部秀輝さんは、1980年代後半から2000年代半ばに日本のプロ野球界やメジャーリーグで活躍した豪腕ピッチャー。

参考:伊良部秀輝 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%89%AF%E9%83%A8%E7%A7%80%E8%BC%9D

1987年 香川県の尽誠学園からドラフト1位でロッテオリオンズに入団。

入団1年目から一軍ベンチに入り、その後 ロッテのエースピッチャーとして活躍。

当時、球界最速だった158kmをマークするほどの剛速球投手だった伊良部投手。

西武ライオンズに所属していた清原との勝負は、今や伝説となってますね。

そして、1997年にロッテからメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースに移籍。

ヤンキースで3年活躍した後、モントリオール・エクスポズ、テキサス・レンジャーズに移籍し、その後 2003年に日本球界に復帰。
阪神タイガースの18年ぶりのリーグ優勝にも大きく貢献。

そして、2004年に引退。

 

引退後は、アメリカのロサンゼルスで実業家として活躍されていましたが、2011年7月27日にロサンゼルスの自宅で亡くなっているのを発見。
死因は自殺。

享年42歳でした。

 

今回参考にした本

今回の伊良部秀輝さんを紹介する中で参考にさせて頂いたのは、団野村さん著の「伊良部秀輝」

日本人選手がメジャーリーグへ挑戦する際に必要となるメジャー球団との契約交渉代理人

そんな契約交渉代理人として有名な団野村さん。

伊良部投手がメジャーを目指す際にも代理人を務めていたんだとか。

そんな伊良部投手の身近にいた“側近”からこそわかる本当の伊良部秀輝。

この本には内容が凝縮されてました。

 

現役時代の伊良部投手のイメージ

わたしと同じ、40代以降の方で、野球に少し詳しい方であればご存知の方も多い伊良部秀輝さん。

 

伊良部さんと言えばこんなイメージありませんか?

ふてぶてしい顔に、観客に向かって唾を吐く悪態。
悪役イメージ

悪童

現役時代の伊良部投手にこんなイメージを持たれた方も多いと思います。

 

そんな、悪童のイメージが強い伊良部投手。

団野村さんの著書「伊良部秀輝」では、実際の伊良部投手はわたし達が持つイメージとはかけ離れていた人物と書かれてました。

 

実は繊細かつ面倒見の良い人だった

団野村さんも著書「伊良部秀輝」の中でも書かれているんですが、確かに感情を抑えられない一面も伊良部投手にはあったようですが、チームメイトからはとても愛されていたんだとか。

ただ、とても繊細な正確だったので、現役時代にはマスコミにあること・無いこと書かれることもしばし。

マスコミ嫌いで有名だったようです。

 

そして伊良部投手といえば、190cmを超える大柄な体格。

実は、伊良部投手 アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんの間に生まれたハーフだったんだとか。

確かに言われてみるとハーフっぽいお顔ですね。

生まれてすぐの時に、お母さんが再婚したため、実の父親も問題も分からず、ハーフとして日本で過ごしていたんだとか。

今から40年・50年前の時代というと、ハーフの子供たちに対して、差別や偏見があった時代。

そういった生い立ちや、繊細な性格がマスコミとの衝突を生み、悪童のイメージを生み出したのかもしれませんね。

 

ポスティング制度は伊良部騒動がキッカケで生まれた

日本人選手がメジャーリーグに挑戦する際に、今では当たり前に使われるようになったポスティング制度。

このポスティング制度ができるキッカケとなったのは、伊良部投手だと言われてます。

ロッテ球団への不信感、そしてメジャーへの挑戦の気持ちが高くなり、1998年にロッテ球団にメジャー挑戦を直訴した伊良部投手。

当時、日米間では選手譲渡についての取り決めがなく、一旦 選手を自由契約にした上で移籍先と契約を結ぶ必要があったのでした。

そこで起きたのが、一部の球団が独占的に安く選手を獲得する不平等。

当時、ロッテと業務提携のあったパドレスが伊良部投手を独占的に獲得しようとしたのでした。

 

それを知ったメジャーの各球団、

「パドレスのあの独占交渉はおかしい!」

日本選手獲得の機会均等を求める声があがり、ポスティング制度が出来たんです。

 

現在、沢山の日本人選手がメジャーに挑戦できるようになったのは、この伊良部投手の騒動のおかげなのかな?

 

晩年の人生

少年時代から野球一筋だった伊良部さん、プロ野球を引退後は生きる目的を失ったかのように転落の人生だったようです。

2008年に大阪の飲食店で店員に暴行をはたらき、1度目の逮捕。

参考:伊良部逮捕!生ビール20杯飲み大暴れ – MLBニュース : nikkansports.com
https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20080821-399315.html

この事件では、飲食店側が伊良部さんのブラックカードをスキミングしようとしたことが原因だそうで、その後 不起訴処分。

 

そして2度目はアメリカで飲酒運転で2度目の逮捕。

参考:伊良部また逮捕 今度は米で酒気帯び運転…― スポニチ Sponichi Annex 野球
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/05/27/kiji/K20100527Z00001690.html

 

1人で瓶ビール20本から30本も空けるぐらいお酒が大好きだった伊良部さん。

晩年はお酒によって人生を狂わされ、お酒の勢いで衝動的に自殺してしまったのではないかと言われてます。

わたしもお酒を飲んでいた頃に、自制心を保てなくなったこともあるので、少しだけ気持ちが分かるかな…

 

さいごに

ということで、今回は伝説の剛速球ピッチャー伊良部秀輝さんの半生をご紹介してみました。

今回のお話 いかがでしたでしょうか。

30年以上前の中学生時代からロッテファンだったわたし。

当時はロッテファンだと言うとよくバカにされてました。

あんな弱小軍団のどこがいいの?

そんな連中達の言葉を打ちのめしてくれる伊良部の剛速球。

伊良部投手が先発登板の日は、安心して試合結果を見ることができたのを記憶しています。

 

そんな伊良部投手も、お亡くなりになられて早10年

今回、改めて伊良部投手の功績を振り返ってみました。

合掌🙏

 

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