ウルトラマンのカラータイマー3分間は後付けだった

雑談

日本の特撮作品の傑作の一つであるウルトラマン。

引用:ウルトラマン – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト
https://m-78.jp/videoworks/ultraman/

ウルトラマンといえば カラータイマーでおなじみですよね。

そんなウルトラマンのカラータイマー、実は後付けで3分に設定されたことご存知でしょうか?

 

本日は、ウルトラマンのカラータイマー3分間は後付け設定だったというお話しします。

 

本日の参考本

本日のお話は、先日読んだ大野茂さん著書の「サンデーとマガジン~創刊と死闘の15年~」の中から参考にさせていただきました。

1959年3月17日に同時創刊された、週刊少年サンデー週刊少年マガジン。

今では週刊少年ジャンプに発行部数で大きく差を開けられているこの二誌ですが、当時は日本の少年誌のトップを競い合うほど子ども達に人気だった少年誌。

そんなサンデーとマガジンの創刊までの歴史。
そして創刊後の人気タイトルなどなど、60代・70代以上の方には懐かしいと思える内容のこの本。

日本の少年誌の歴史を知る上ではとても貴重な一冊。
興味ある方は是非チェックしてみてください。

 

みんな大好きウルトラマン

みんな大好きウルトラマン。

参考:ウルトラマン – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト
https://m-78.jp/videoworks/ultraman/

老若男女、日本国民であれば誰もがウルトラマンを知っているのではないでしょうか。

ウルトラマン知ってるよ!

最近だと、シン・ウルトラマンという映画が劇場公開され話題となりましたよね。

参考:映画『シン・ウルトラマン』公式サイト
https://shin-ultraman.jp/

 

そんなウルトラマンといえばカラータイマー。

胸に付いた青く光る発行体のカラータイマー。
このカラータイマーはウルトラ心臓に繋がったウルトラ戦士のエネルギー残量を意味していて、通常は青色だが、エネルギーが少なくなると赤色に変わって点滅するんだとか。

このカラータイマーは点灯している3分間しか地球上で戦えないんです。

 

そんなカラータイマー3分。
実は ウルトラマンの初期の頃には、3分間なんて設定は無かったそうなんです。

 

カラータイマー3分は後付だった

実は、カラータイマーの3分間という設定は後付けだったということをご存知でしょうか。

「サンデーとマガジン~創刊と死闘の15年~」ではこんなことを書かれていました。

初代ウルトラマンのテレビ放送の中では、一度も3分間という言葉は出てこない。
「地球上では短い時間しか戦えない」とナレーションが入るだけであった。

ところが、週刊少年マガジンで「ウルトラマン 3分間の決戦」と図解と時間経過入りで特集したことがいつの間にか独り歩きしてしまった。

その結果、ウルトラマンの3分間という具体的な数字を後から円谷プロが公認する形となってしまったのである。

引用:「サンデーとマガジン~創刊と死闘の15年~」より

そう、週刊少年マガジンの完全ウソ情報で、広まってしまったウルトラマンのカラータイマーは3分間という設定。
あまりにもウソ情報が広まってしまったため、ウルトラマンを制作する円谷プロダクションも認めざる得なかったようですね。

今では絶対に許されないことですが、当時はこの手のことは多々あったんでしょうね(苦笑)

 

何故 カラータイマー3分間になった?

後付け設定されたカラータイマー3分間
では、なぜ3分間という設定になったのでしょうか?

カラータイマー3分間の設定説は以下のものがあるようです。

  • テレビ放映の時間の関係
  • 特撮の撮影コスト削減のため
  • 巨人・長嶋茂雄選手の背番号「3」にあやかって
  • ボクシングが1ラウンド3分なので

どれもこれも信憑性がありそうな説ですが、本当のことは…
分からないそうなんです。

というのも、週刊少年マガジンで「ウルトラマンのカラータイマー3分間」を勝手に決めたSF研究家 大伴(おおとも)昌司さん。
この大伴さんは既にお亡くなりになられており、3分間の真相は分からないそうなんです。

しかし、今では絶妙な3分間という設定。
この大伴さんが3分間と設定しなければ、ここまで国民的な人気キャラクターにならなかったかもしれませんね。

 

さいごに

ということで、本日は ウルトラマンのカラータイマー3分間は後付け設定だったというお話をしました。
本日のお話 いかがでしたでしょうか。

みなさんの中でも、ウルトラマンと聞いて想い出や、印象に残っているシリーズがあるのではないでしょうか。

個人的にウルトラマンで一番印象に残っているのはウルトラマン80。

参考:ウルトラマン80(エイティ) – 円谷ステーション – ウルトラマン、円谷プロ公式サイト
https://m-78.jp/videoworks/ultraman_80

わたしが生まれ育った高知県では、ウルトラマンは当時 早朝に放映していて、小学生だったわたしは、ウルトラマン80を観たいがために早起きしていたのを今でも記憶しています。

多くの人の記憶に残るウルトラマン。
カラータイマーが赤色に点滅はじめたら今回のことを思い出して下さいね。

 

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